羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする - 戦国大名 勢力マップ
1580年の羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とするについて、背景・経過・結果を根拠となる資料とあわせて確認できます。場所は姫路城。
1580年 姫路城
播磨平定後、黒田孝高から姫路城を譲られた羽柴秀吉は城を改修し、但馬・因幡・備中へ進む中国攻めの本拠とした。
年内の主な出来事
- 1577年: 秀吉が中国経略のため播磨へ入る — 毛利氏に向かう中国経略のため、羽柴秀吉が播磨へ派遣された。以後、三木城をはじめ播磨の諸城との戦いが続く。
- 1580年: 羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする — 播磨平定後、黒田孝高から姫路城を譲られた羽柴秀吉は城を改修し、但馬・因幡・備中へ進む中国攻めの本拠とした。
- 1581年: 姫路城に三重の天守が建つ — 羽柴秀吉が姫路城に三重の天守を築いた。中国攻めの本拠として城の構えが整えられ、のちに池田輝政が現在の姿へ改めることになる。