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羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする

1580年 · 姫路城

播磨平定後、黒田孝高から姫路城を譲られた羽柴秀吉は城を改修し、但馬・因幡・備中へ進む中国攻めの本拠とした。

羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする — 姫路城

戦況年表

1 1577年

秀吉が中国経略のため播磨へ入る

毛利氏に向かう中国経略のため、羽柴秀吉が播磨へ派遣された。以後、三木城をはじめ播磨の諸城との戦いが続く。

出典123·確実度:中

2 1580年

羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする

播磨平定後、黒田孝高から姫路城を譲られた羽柴秀吉は城を改修し、但馬・因幡・備中へ進む中国攻めの本拠とした。

出典123·確実度:中

3 1581年

姫路城に三重の天守が建つ

羽柴秀吉が姫路城に三重の天守を築いた。中国攻めの本拠として城の構えが整えられ、のちに池田輝政が現在の姿へ改めることになる。

出典123·確実度:中

参照した資料

  1. 兵庫県立歴史博物館「姫路城 年表」
  2. 姫路市「姫路城の歴史」
  3. 姫路市立城郭研究室「姫路城への道しるべ 第2章 姫路城の歴史」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1580年の勢力図を見る
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