INTERACTIVE BATTLE

北白川の戦い

1558年7月4日 · 山城国白川(現在の京都市左京区北白川)

近江へ逃れていた将軍・足利義輝が京の奪還を目指し、東山の城をめぐって三好長慶方と戦った。合戦には敗れたが、同じ年の和睦で義輝は5年ぶりに京へ戻った。

背景

義輝は三好長慶との抗争に敗れて近江の朽木へ退いており、京を離れて5年になっていた。六角義賢の後援を得た義輝は、東山の将軍山城を足がかりに京へ迫った。

結末

北白川の衝突では三好方が勝った。しかし同じ年の11月に長慶と義輝の和睦が成り、義輝は相国寺で出迎えを受けて京へ入った。

北白川の戦い — 山城国白川(現在の京都市左京区北白川)

戦況年表

1 1558年6月下旬

三好方が将軍山城を押さえる

東山の瓜生山にある将軍山城を三好方が占拠した。京を見下ろすこの城は、京をめぐる争いのたびに拠点となってきた。

三好長逸

将軍山城を占拠する

出典13·確実度:中

2 1558年7月上旬

城が幕府方へ移り、如意ヶ嶽で争う

三好方は孤立を避けて城に火を放って退き、城は幕府方の手に落ちた。その翌日、三好方は瓜生山の南東にある如意ヶ嶽を押さえ、幕府方を破った。

足利義輝

将軍山城を得る

松永久秀

三好方として東山で戦う

出典123·確実度:中

3 1558年7月4日

北白川で両軍が衝突する

両軍は北白川で正面から衝突し、三好方が勝った。義輝の京奪還は、この戦いでは果たされなかった。

三好長慶

京の守りを固める

出典124·確実度:中

4 1558年11月

和睦が成り義輝が京へ戻る

同じ年の11月、三好長慶と義輝の和睦が成った。義輝は相国寺で長慶らの出迎えを受け、5年ぶりに京へ入った。

足利義輝

5年ぶりに京へ入る

出典124·確実度:中

歴史的な位置づけ

軍事では三好方が勝ち、政治では将軍を京へ迎える形が選ばれた。以後1565年の永禄の変までの畿内の枠組みが、この年に決まる。

主な関係人物

足利氏

2名

足利義輝

将軍・幕府方の中心

近江へ逃れていた将軍。京の奪還を目指して東山で戦い、敗れたが同年の和睦で京へ戻った。

出典2·確実度:高


細川晴元

幕府方の将

義輝を支えて京の奪還に加わった。

出典2·確実度:中

六角氏

1名

六角義賢

幕府方の後援

近江の大名として義輝を後援した。畿内の均衡に関わり続ける。

出典2·確実度:中

三好氏

3名

三好長慶

三好方の当主

京を押さえていた実力者。軍事では勝ち、政治では義輝を京へ迎える形をとった。

出典2·確実度:高


三好長逸

三好方の将

将軍山城の占拠と如意ヶ嶽の攻防にあたった。

出典2·確実度:中


松永久秀

三好方の将

三好方の主要な将として東山の攻防に関わった。

出典2·確実度:中

データ上の注意

日付は西暦(ユリウス暦)で表記する。出典は旧暦を用いており、7月4日は永禄元年6月9日にあたる。将軍山城は瓜生山城・北白川城・勝軍山城とも呼ばれるが、城郭マスタの表記に合わせて将軍山城とする。討ち取られた人数は史料ごとに差があるため本文には書かない。

参照した資料

  1. 京都府教育委員会 文化財保護課「北白川(勝軍山)城跡」
  2. Wikipedia「北白川の戦い」
  3. 城郭マスタ(shiro.geojson)
  4. 地理院地図 住所検索(京都府京都市左京区北白川上終町)

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1558年の勢力図を見る
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