
比叡山焼き討ち後も反信長勢力との対立は収まらず、1572年は武田信玄の西上作戦によって織田・徳川方が大きく圧迫された。足利義昭、浅井・朝倉、本願寺ら反信長勢力の動きも続き、包囲網はなお強い緊張を保った。年末の三方ヶ原の戦いでは徳川家康が大敗し、東海戦線は大きく動揺。信長包囲網がなお有効であることを全国に印象づけた一年となった。
1月
5月
12月
武田軍が遠江二俣城を攻略し、徳川方の防衛線を切り崩した。家康は浜松城を拠点に持久と反撃の機会をうかがう状況に追い込まれた。
この合戦を詳しく見る →出典 浜松市「二俣城跡及び鳥羽山城跡」/静岡県「しずおか文化財ナビ 二俣城跡及び鳥羽山城跡」/浜松市「浜松市文化財情報vol.95」