姉川・志賀の陣の余波が続く中、織田信長は畿内で反対勢力への圧力を一段と強めた。浅井・朝倉、本願寺、延暦寺、将軍足利義昭らを含む反信長勢力との対立は先鋭化し、9月には比叡山焼き討ちを断行。近畿の政治・宗教秩序に大きな衝撃を与え、第一次信長包囲網は全面対決の段階へ進んだ。
春
北近江・越前方面で浅井長政・朝倉義景が兵力を整え、織田領への圧迫を継続。織田方は近江南部と京都防衛を固める。
2月
将軍足利義昭は諸大名・寺社勢力に働きかけ、信長を抑えるための政治的連携を模索。包囲網形成の動きが水面下で進む。
秋
毛利輝元は中国地方で防衛線を維持し、尼子残党や織田方の西進に備えつつ、畿内の動揺を慎重に見極めた。
四国では長宗我部元親が土佐国内の支配をさらに固め、阿波方面への進出をうかがう段階に入った。
8月
上杉謙信や武田信玄ら有力大名の動向が畿内情勢に影響を与えると見られ、信長・義昭双方が広域的な連携の可能性を探った。
9月
織田信長は比叡山延暦寺を大規模に攻撃し、堂塔・坊舎を焼き払った。延暦寺勢力を軍事的・政治的に排除し、畿内支配強化への強い意思を示した。
冬
九州では島津義久と大友義鎮(宗麟)の緊張関係が続き、日向・肥後方面の国衆を巻き込んだ勢力争いが続いた。
北条氏康が没。氏政は氏康の後見から独立し、北条氏の当主として関東支配を進めた。
出典 小田原市「北条氏五代100年の歴史」