歌川国芳「川中島百勇将戦之内 明将武田晴信入道信玄」
甲斐武田氏 当主
1521年〜1573年
父・信虎を追放して家督を継ぐと、諏訪・佐久・小県・信濃へ侵攻し、上杉謙信と川中島で5次にわたり対陣した。甲相駿三国同盟や婚姻外交で国境を安定させる一方、義信事件を経て今川氏との同盟を破棄し駿河へ侵攻した。甲州法度による領国統治、検地・軍役・治水(信玄堤)、金山・伝馬による経済基盤の整備を進め、城郭と烽火による軍事ネットワークを築いた。1572年、織田信長包囲網に応じて西上作戦を開始し、三方ヶ原で徳川家康を破ったが、翌1573年に陣中で病没した。家督は勝頼が継いだ。
出典 山梨県「ふるさと教材・年表」/浜松市博物館/浜松市「二俣城跡及び鳥羽山城跡」
武田信玄
本人
黄梅院
子
19件
1521年
1541年
武田晴信が家督を継承
父信虎を追放・武田家当主となる武田晴信は父・信虎を駿河へ退かせ、武田氏の家督と甲斐国支配を継承した。
1542年
武田晴信が諏訪郡を攻略
諏訪攻略を主導武田晴信は信濃国諏訪郡へ侵攻し、諏訪頼重を降伏させて諏訪支配を進めた。
1544年
武田晴信が福与城を攻撃
攻城軍総大将武田晴信は伊那郡へ進出し、藤沢頼親らが守る福与城を攻めた。福与城側は50余日にわたって抵抗した。
1547年
甲州法度之次第を制定
分国法を制定武田晴信は家臣統制と領国支配の規範となる分国法「甲州法度之次第」を制定した。
1548年
上田原の戦い
武田軍総大将・敗退武田晴信は村上義清との上田原の戦いで敗れ、板垣信方・甘利虎泰ら重臣を失った。
1550年
砥石城の戦い
攻城軍総大将・敗退武田晴信は村上義清方の砥石城を攻めたが攻略できず、大きな損害を受けて退いた。
1553年
1554年
甲相駿三国同盟が成立
甲斐方武田・北条・今川三氏は子女の婚姻を通じて同盟関係を成立させた。
1555年
1557年
1560年
1561年
1571年
1572年
1573年
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