1573年:室町幕府滅亡と信長包囲網の崩壊

1573年:室町幕府滅亡と信長包囲網の崩壊

武田信玄の死去によって反信長勢の求心力が低下する中、織田信長は畿内・近江で攻勢を強めた。槇島城攻めで足利義昭を追放し、室町幕府は実質的に滅亡。続いて浅井長政・朝倉義景を滅ぼし、第一次信長包囲網は大きく崩壊した。各地でも勢力再編が進み、戦国時代後期の主導権が織田方へ傾く転機となった一年である。

年内の主な出来事

上杉謙信の越中・能登方面圧力

北陸では上杉謙信が能登・越中方面への関与を継続し、織田方・一向一揆勢力との緊張が続いた。

1月25日

三方ヶ原の戦い

遠江三方ヶ原で武田軍と徳川・織田連合軍が激突し、家康は大敗。武田信玄の軍事的威勢が全国に示され、反信長勢力に大きな心理的影響を与えた。

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出典 Wikipedia「三方ヶ原の戦い」

4月

武田信玄の死去

西上作戦の途上にあった武田信玄が病没。反信長包囲網の中核を担いうる存在を失い、各地の反織田勢力は連携力を弱めた。

毛利氏の西国安定化

毛利輝元は織田方の西進をなお警戒しつつ、中国地方の防衛線を維持。将軍義昭との連携余地を残しながらも、畿内情勢急変により慎重姿勢を強めた。

7月

槇島城の戦い

将軍足利義昭がなおも諸大名に反信長挙兵を呼びかける中、織田信長は京都近郊の槇島城を攻撃。義昭は敗れて降伏し、京都から追放された。

室町幕府の実質的滅亡

足利義昭追放により、足利将軍家による京都支配体制は崩壊。一般にこの年をもって室町幕府滅亡とされる。

長宗我部元親の阿波進出準備

土佐統一を進めた長宗我部氏が阿波・伊予方面への影響力拡大を模索。四国の勢力均衡が徐々に崩れ始めた。

8月

朝倉義景の滅亡

織田軍の越前侵攻により朝倉義景は一乗谷を放棄して敗走。家臣の離反も重なり自害し、戦国大名朝倉氏は滅亡した。

8月9日

刀根坂の戦い

織田軍が越前へ退く朝倉軍を追撃し大勝。朝倉氏の軍事的基盤を決定的に崩した。

9月

小谷城落城・浅井長政自害

北近江の小谷城が織田軍に攻め落とされ、浅井長政は自害。浅井氏は滅亡し、近江北部は織田方の支配下に入った。

島津氏と大友氏の緊張継続

九州では島津義久が南九州で地歩を固め、大友宗麟との対立構造が続く。全面衝突前夜の均衡状態が保たれた。