
8月、秀吉が伏見城で病没した。死の直前、秀吉は五大老に朝鮮出兵中の全軍撤退を遺言し、遺命を受けて日本軍は撤収を開始した。11月の露梁海戦では明・朝鮮水軍と激しく戦い名将・李舜臣を討ち取ったが、日本軍もこの海戦を最後に朝鮮半島から完全に撤退し、7年に及んだ戦役は幕を閉じた。
3月18日
豊臣秀吉が朝鮮の釜山浦城への援軍を四国大名衆へ輪番で命じる朱印状を発した。
5月3日
前田玄以・浅野長政・増田長盛・長束正家の四奉行が、朝鮮での戦功を理由に加藤嘉明を10万石へ加増する旨の連署状を発した。
8月18日
豊臣秀吉が伏見城で死去し、幼い秀頼を支える五大老・五奉行体制の均衡が大きく揺らぎ始めた。
9月3日
豊臣秀吉死後、幼い秀頼を支える五大老と五奉行が合議の誓約を記した起請文を作成した。