INTERACTIVE BATTLE

慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い)

1600年9月 · 出羽国長谷堂城周辺

直江兼続率いる上杉軍が最上領へ侵攻し、長谷堂城を攻めたが攻略できず、関ヶ原敗報を受けて撤退した戦役。

背景

会津征伐軍が西へ転進した後、上杉氏は以前から庄内をめぐって争っていた最上領へ軍を進めた。西軍との連携と奥羽固有の領土争いが重なった。

結末

長谷堂城は持ちこたえ、関ヶ原での西軍敗北を知った上杉軍は置賜へ撤退した。戦後、上杉氏は米沢へ減封され、最上氏は加増された。

慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い) — 出羽国長谷堂城周辺

戦況年表

1 1600年9月

上杉軍が最上領へ侵攻する

直江兼続率いる上杉軍が米沢・庄内方面から最上領へ進み、畑谷城を攻略した。

上杉景勝

上杉家当主

最上義光

最上軍の指揮

伊達政宗

最上方を支援

出典123·確実度:中

2 1600年9月

長谷堂城が攻撃を耐える

志村光安らが守る長谷堂城は上杉軍の攻撃を耐え、最上義光は山形城から救援に動いた。

上杉景勝

上杉家当主

最上義光

最上軍の指揮

伊達政宗

最上方を支援

出典123·確実度:中

3 9月末〜10月

上杉軍が撤退する

関ヶ原本戦での西軍敗北を知った上杉軍は、最上・伊達方の追撃を受けながら置賜へ撤退した。

上杉景勝

上杉家当主

最上義光

最上軍の指揮

伊達政宗

最上方を支援

出典123·確実度:中

歴史的な位置づけ

『北の関ヶ原』という後世の呼称だけでなく、庄内・置賜・山形盆地をめぐる独自の領国戦争として扱う。

主な関係人物

上杉氏

1名

上杉景勝

上杉家当主

上杉方

出典123·確実度:中

最上氏

1名

最上義光

最上軍の指揮

最上・徳川方

出典123·確実度:中

伊達氏

1名

伊達政宗

最上方を支援

最上・徳川方

出典123·確実度:中

データ上の注意

兵数・損害・個人武功は調査ノートで確認できる範囲に限定する。

参照した資料

  1. 山形市「長谷堂城跡」
  2. 山形城公式「歴代城主」
  3. 山形市地域教材「長谷堂合戦」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1600年の勢力図を見る
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