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上杉景勝の家紋

米沢藩 初代藩主

上杉景勝

1556年〜1623年

上杉謙信の養子として越後上杉家に入り、謙信の死後に起きた御館の乱を制して家督を継いだ。重臣直江兼続とともに越後を再統一し、豊臣秀吉に服属して佐渡・庄内を含む領国を確立、五大老の一人に列せられて会津120万石へ移封された。秀吉の死後、徳川家康と対立して1600年の会津征伐・関ヶ原の戦いの契機となり、慶長出羽合戦では最上・伊達と戦った。関ヶ原で西軍が敗れると家康に服し、米沢30万石へ大幅に減封されたが、家臣団を維持したまま米沢藩を存続させた。

出典 米沢市「米沢の歴史」/米沢市教育委員会文化財年報/米沢市「上杉鷹山の歴史」

家系図

上杉謙信

養親

上杉景勝

本人

資料で確認できた関係だけを示す。一族の全員を網羅したものではない。破線は養子縁組か、続柄だけが分かり親を特定していない関係を示す。

関連する出来事

4件

1582年

天正壬午の乱

北信濃へ進出した上杉方当主
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本能寺の変後に空白となった旧武田領をめぐり、徳川氏と後北条氏を中心とする争いが甲斐・信濃・上野で展開した。

1590年

6月23日

八王子城落城

参戦・関係
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前田利家・上杉景勝ら豊臣方の北国勢が八王子城を攻め、城は一日で落城した。

1600年

10月

慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い)

上杉家当主
この合戦を詳しく見る →

直江兼続率いる上杉軍が最上領へ侵攻し、長谷堂城を攻めたが攻略できず、関ヶ原敗報を受けて撤退した戦役。

1601年

上杉景勝が米沢へ減封

会津から米沢へ減封
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関ヶ原合戦後、上杉景勝が会津120万石から米沢30万石へ減封され、米沢を本拠とする領国経営へ移った。

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