INTERACTIVE BATTLE

第三次川中島の戦い

1557年5月〜10月 · 信濃国北部・川中島(現在の長野市周辺)

武田方が葛山城を落としたのを受けて長尾景虎が北信濃へ出兵したが、武田方は決戦を避け、決着はつかなかった。

背景

1557年2月、武田方は調略で葛山城の落合一族を寝返らせ、馬場信春らの攻撃で城を落とした。城将の落合備中守は戦死し、長尾方は善光寺平の拠点を失った。

結末

景虎はいくつかの城を攻めたが、武田方は正面から当たらなかった。8月下旬に上野原で戦闘があったものの、大きな戦果のないまま景虎は兵を退いた。

第三次川中島の戦い — 信濃国北部・川中島(現在の長野市周辺)

戦況年表

1 1557年2月

武田方が葛山城を落とす

武田方は調略で城内の落合一族を寝返らせ、馬場信春らが攻めて葛山城を落とした。城将の落合備中守は戦死した。

馬場信春

葛山城を攻め落とす

出典34·確実度:中

2 1557年5月〜9月

景虎が北信濃へ出兵する

拠点を失った景虎は北信濃へ出兵し、いくつかの城を攻めた。武田方は正面から当たらず、決戦にはならなかった。

長尾景虎

北信濃へ出兵する

出典125·確実度:中

3 1557年9月ごろ

上野原で戦い、決着がつかない

上野原で戦闘があったが、大きな戦果のないまま景虎は兵を退いた。北信濃における武田方の支配は残った。

論点

上野原の位置は特定されておらず、複数の候補がある。

武田晴信

決戦を避ける

出典125·確実度:中

歴史的な位置づけ

武田方が決戦を避けながら北信濃の支配を固めた年にあたる。第三次は大規模な決戦ではなく、一連の対陣と小競り合いの総称である。

主な関係人物

上杉氏

2名

長尾景虎

長尾軍総大将

葛山城の喪失を受けて出兵したが、決戦に持ち込めないまま退いた。

出典5·確実度:中


落合備中守

葛山城の城将

葛山城を守り、落城の際に戦死したと伝わる。

出典3·確実度:中

武田氏

2名

武田晴信

武田軍総大将

正面から当たらず、北信濃の支配を固める方を選んだ。

出典5·確実度:中


馬場信春

葛山城攻めの将

葛山城の攻略を担い、長尾方の拠点を奪った。

出典3·確実度:中

データ上の注意

日付は西暦(ユリウス暦)で表記する。出典は旧暦を用いており、4月から9月までの出兵が西暦の1557年5月から10月にあたる。上野原の位置は特定されておらず、地図の点は川中島一帯の代表位置に置く。

参照した資料

  1. 長野市「川中島古戦場史跡公園」
  2. ながの観光net「川中島の戦い 史跡ガイド」
  3. Wikipedia「葛山城 (信濃国)」
  4. 城郭マスタ(shiro.geojson)
  5. Wikipedia「川中島の戦い」

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1557年の勢力図を見る
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