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尾山御坊の陥落

天正8年 · 加賀国尾山御坊(現在の石川県金沢市、金沢城公園一帯)

信長と石山本願寺の講和後、柴田勝家配下の佐久間盛政が加賀一向一揆の本拠・尾山御坊を攻略した。約100年続いた加賀一向一揆の中枢が失われ、加賀国は事実上織田方の支配下に入った。

背景

加賀一向一揆は文明年間(1470年代)以来、加賀国を実質的に治める一大勢力だった。尾山御坊(金沢御堂)は天文15年(1546年)に本願寺の拠点として創建され、以後一揆の中枢として機能した。天正8年に信長と石山本願寺が講和すると、後ろ盾を失った加賀の一向一揆は北陸方面軍による攻略の対象となった。

結末

織田方の北陸方面軍が尾山御坊を攻略し陥落させた。陥落後、佐久間盛政がその跡地に城郭を築き、初代金沢城主となった。ただし白山麓(鳥越城・二曲城)では山内衆による抵抗がなお続いた。

尾山御坊の陥落 — 加賀国尾山御坊(現在の石川県金沢市、金沢城公園一帯)

戦況年表

1 1580年

尾山御坊が陥落する

信長と石山本願寺の講和後、柴田勝家配下の佐久間盛政が加賀一向一揆の本拠・尾山御坊を攻略した。陥落後、盛政がその跡地に城郭を築き、初代金沢城主となった。

佐久間盛政

尾山御坊を攻略し初代金沢城主となる

柴田勝家

北陸方面軍を率いて加賀侵攻を指揮する

出典14·確実度:高

歴史的な位置づけ

加賀一向一揆の政治的中枢が失われたことで、加賀国は事実上織田方の支配下に入った。この地はのちに前田利家が治めることになるが、利家が加賀を領有するのは賤ヶ岳の戦い後の天正11年(1583年)であり、この時点ではまだ越前府中城主だった。

主な関係人物

織田氏

2名

柴田勝家

北陸方面軍総大将

越前北庄を本拠に北陸方面軍を率い、加賀侵攻・尾山御坊攻略を指揮した。

出典1·確実度:高


佐久間盛政

尾山御坊攻略の指揮・初代金沢城主

柴田勝家の甥。加賀平定戦で前線を担い、尾山御坊陥落後にその跡地の初代城主となった。

出典1·確実度:高

データ上の注意

月日は確認できた公的資料(石川県・白山市)では特定されていないため、年のみを記す。前田利家はこの時点では越前府中城主で、加賀侵攻そのものへの従軍を示す資料は確認できていないため、参戦者には含めていない。

参照した資料

  1. 石川県「金沢城の歴史」(金沢城公園)
  2. 白山市「史跡鳥越城跡附二曲城跡」
  3. 石川県「七尾城跡・鳥越城跡附二曲城跡」(県指定文化財解説)
  4. 城郭マスタ(shiro.geojson)

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1580年の勢力図を見る
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