1580年:石山合戦の終結と三木城の落城

1580年:石山合戦の終結と三木城の落城

1月、羽柴秀吉は約2年に及ぶ兵糧攻めの末に別所長治の三木城を開城させ、播磨平定を大きく前進させた。4月には朝廷の仲介で石山本願寺の顕如が信長との講和を受け入れて退去し、8月には抗戦派の教如も明け渡しに応じて、10年に及んだ石山合戦がついに終結した。越後では御館の乱も上杉景勝の勝利で収束し、各地で長期対立の決着が相次いだ一年となった。

年内の主な出来事

2月2日

三木城落城

約一年十か月に及ぶ兵糧攻めの末、別所長治らが城兵と領民の助命を条件に自害し、三木城が羽柴秀吉に開城した。

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出典 三木市「三木合戦とは【豊臣兄弟と三木】」/三木市「三木城跡及び付城跡・土塁(国指定史跡)」/三木市「三木合戦の史跡・スポット」

8月

北条氏直が家督を継承

氏政は織田家との婚姻を前提に氏直に家督を譲った。氏政は「御隠居様」と呼ばれ、有効の印判を用いて氏直の政務を後見し続けた。

月日不詳
石山合戦終結

本願寺法主顕如は勅命による講和を受け入れて石山本願寺を退去し、織田信長と本願寺の約十年に及ぶ戦いが終結した。

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出典 大阪市「石山(大坂)本願寺推定地」/大阪市「特別史跡大坂城跡の特徴(大坂本願寺と寺内町)」

羽柴秀長が出石・有子山城に入る

但馬平定が進むなか、羽柴秀長は出石の有子山城に入り、但馬統治の拠点を置いた。竹田城は配下の桑山重晴に預けられた。

羽柴秀吉が姫路城を中国攻めの拠点とする

播磨平定後、黒田孝高から姫路城を譲られた羽柴秀吉は城を改修し、但馬・因幡・備中へ進む中国攻めの本拠とした。

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出典 兵庫県立歴史博物館「姫路城 年表」/姫路市「姫路城の歴史」/姫路市立城郭研究室「姫路城への道しるべ 第2章 姫路城の歴史」

尾山御坊の陥落

信長と石山本願寺の講和後、柴田勝家配下の佐久間盛政が加賀一向一揆の本拠・尾山御坊を攻略した。

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出典 石川県「金沢城の歴史」