1601年:関ヶ原の戦後処理—大名配置の大転換 - 戦国大名 勢力マップ
関ヶ原の勝利から間もなく、徳川家康は論功行賞を実施し、西軍に与した大名を改易・減封する一方、東軍方の大名には加増を行った。豊臣恩顧の大名の多くは中国・四国・九州など遠隔地へ移され、畿内や東海道の要地は徳川一門・譜代大名で固められ、江戸時代の大名配置の原型が形作られた。
年内の主な出来事
- 1601-月日不詳: 上田城明け渡しと破却 — 関ヶ原合戦後、真田昌幸・信繁父子が上田城を徳川方へ明け渡し、城は破却された。
- 1601-月日不詳: 真田昌幸・信繁父子が九度山へ配流 — 上田城を明け渡した真田昌幸・信繁父子が、紀伊国高野山麓の九度山へ配流された。
- 1601-月日不詳: 上杉景勝が米沢へ減封 — 関ヶ原合戦後、上杉景勝が会津120万石から米沢30万石へ減封され、米沢を本拠とする領国経営へ移った。
- 1601-月日不詳: 二条城築城を諸大名に命令 — 徳川家康が京都御所の守護と上洛時の宿所とする二条城の築城を西国諸大名に命じた。
- 1601-01-08: 山内一豊が浦戸城へ入城 — 関ヶ原合戦後に土佐一国を与えられた山内一豊が、甲浦から陸路を進んで浦戸城へ入った。