年代地図へ戻る

国別データ

越中国

戦国前期は畠山氏や神保氏・椎名氏、一向一揆などが分立していたが、上杉謙信が一向一揆と和し、1576年までにほぼ手中に収めた。謙信の死後は織田方が進出して1582年までに大半を制し、本能寺の変ののちは佐々成政が治めたものの、1585年に羽柴秀吉へ降伏。以後は前田氏の支配が広がり、関ヶ原の戦いを経て徳川政権下へ引き継がれた。


年表

  1. 1520年 〜1559年

    神保氏・椎名氏・一向一揆・畠山氏ほか

    諸勢力並立神保氏・椎名氏・一向一揆ほか(各地に分立)
  2. 1560年 〜1569年

    神保長職

    上杉氏上杉方
  3. 1570年 〜1572年

    神保長職

    上杉氏上杉氏勢力圏
  4. 1573年 〜1577年

    上杉謙信

    上杉氏謙信は一向一揆と和し、1576年までに越中をほぼ手中にした
  5. 1573年

    上杉謙信の越中・能登方面圧力

    北陸では上杉謙信が能登・越中方面への関与を継続し、織田方・一向一揆勢力との緊張が続いた。

    上杉謙信の越中・能登方面圧力が行われた1573年の勢力図
  6. 1578年 〜1580年

    上杉景勝・神保長住ほか

    諸勢力並立謙信の死(1578年3月)と御館の乱に乗じて、織田方が神保長住を立てて越中へ入った(月岡野の戦い)。1580年までに西半は織田方に傾いた
  7. 1581年

    佐々成政

    織田氏魚津・松倉など東部には上杉方が残った(魚津城の落城は1582年6月)
  8. 1582年

    佐々成政

    佐々氏
  9. 4月3日柴田勝家らが魚津城を包囲

    柴田勝家・前田利家・佐々成政ら織田方の北陸軍が、上杉方の重要拠点・魚津城を包囲した。攻城戦は約八十日に及んだ。

    この合戦を詳しく見る →
  10. 6月22日魚津城落城

    柴田勝家・前田利家・佐々成政らの織田方連合軍が上杉方の魚津城を落とした。本能寺の変の報が届くと織田方は撤退した。

    魚津城落城が行われた1582年の勢力図
  11. 1583年

    佐々成政

    佐々氏
  12. 1584年

    佐々成政

    佐々氏
  13. 1585年

    佐々成政

    佐々氏富山の役で8月に降伏し、戦後に前田利長が越中を得た/成政降伏後に新川郡を除く三郡が前田利長領となる
  14. 1586年

    前田利長

    豊臣氏成政降伏後に新川郡を除く三郡が前田利長領となる
  15. 1587年

    前田利長

    豊臣氏佐々成政の肥後転封後に前田氏の支配が拡大
  16. 1588年

    前田利長

    豊臣氏佐々成政の肥後転封後に前田氏の支配が拡大
  17. 1589年

    前田利家

    豊臣氏
  18. 1590年

    前田利長

    豊臣氏
  19. 1591年 〜1597年

    前田利長

    豊臣氏
  20. 1598年 〜1599年

    前田利長

    豊臣氏
  21. 1600年

    前田利長ほか

    徳川方関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/関ヶ原合戦後に徳川政権下の領主へ移行
  22. 1601年 〜1602年

    前田利長ほか

    徳川政権関ヶ原合戦後に徳川政権下の領主へ移行
  23. 1603年 〜1615年

    前田利長

    徳川政権