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上杉謙信 — 上杉謙信像作者不詳「上杉謙信像」
上杉謙信の家紋

越後守護代・関東管領

上杉謙信

1530年〜1578年

越後守護代長尾為景の子として生まれ、兄晴景から家督を継いで越後国衆をまとめた。関東管領上杉憲政から名跡と管領職を譲られて上杉姓を名乗り、関東への出兵と北信濃への出兵を繰り返し、武田信玄とは川中島で5次にわたり対陣した。手取川では織田方の軍勢と交戦し、越中・能登・加賀へも勢力を広げた。春日山城を拠点に、青苧・米・塩を扱う港や関銭を財政基盤とし、軍役帳・印判状による領国経営を進めた。毘沙門天への信仰で知られ「義の武将」とも称されるが、1578年に春日山城で急死し、後継をめぐり御館の乱が起きた。

出典 上越市「春日山城跡」/南魚沼市「坂戸城跡」/国立公文書館デジタルアーカイブ

家系図

資料で確認できた関係だけを示す。一族の全員を網羅したものではない。破線は養子縁組か、続柄だけが分かり親を特定していない関係を示す。

関連する出来事

10件

1530年

1月21日

長尾景虎(後の上杉謙信)が誕生

春日山城下で誕生
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長尾為景の末子・虎千代(後の長尾景虎、上杉謙信)が春日山城で生まれた。

1553年

7月

第一次川中島の戦い

長尾軍総大将
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武田晴信と長尾景虎が北信濃の支配をめぐって川中島で対峙した。

1555年

8月

第二次川中島の戦い

長尾軍総大将
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武田晴信と長尾景虎が犀川をはさんで長く対陣し、今川義元の仲介で和睦した。決戦には至らなかった。

1557年

5月

第三次川中島の戦い

長尾軍総大将
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武田方が葛山城を落としたのを受けて長尾景虎が北信濃へ出兵したが、武田方は決戦を避け、決着はつかなかった。

1560年

3月

越後・関東情勢

関東進出準備
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長尾景虎(上杉謙信)が関東進出の準備を進め、北条氏康との対立が続く。

11月

越後の軍備整備

関東出兵準備
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上杉謙信が越後国内の兵農分離や兵站整備を進め、次年の関東出兵に備える。

1561年

4月

上杉政虎の小田原城包囲

上杉軍総大将・関東管領職を継ぐ
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関東の諸将を集めた長尾景虎が小田原城を包囲したが落とせず、鎌倉で関東管領職を継いで上杉政虎と改めた。

10月

第四次川中島の戦い

参戦・関係
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武田信玄と上杉政虎が八幡原で正面から衝突し、双方が大きな損害を出した。決着はつかず、北信濃の支配は動かなかった。

1571年

8月

北陸・東国諸勢力の動向注視

関係人物
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上杉謙信や武田信玄ら有力大名の動向が畿内情勢に影響を与えると見られ、信長・義昭双方が広域的な連携の可能性を探った。

1573年

上杉謙信の越中・能登方面圧力

関係人物
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北陸では上杉謙信が能登・越中方面への関与を継続し、織田方・一向一揆勢力との緊張が続いた。

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