INTERACTIVE BATTLE
天正10年3月 · 加賀国鳥越・二曲(現在の石川県白山市三坂町・出合町周辺)
尾山御坊陥落後も抵抗を続けた白山麓の一向宗門徒組織・山内惣庄を、佐久間盛政が鳥越城・二曲城で最終的に鎮圧した。一揆勢300人余りが処刑され、約100年続いた加賀一向一揆はここに終わった。
尾山御坊が天正8年に陥落したあとも、手取川流域の一向宗門徒組織「山内惣庄」は鈴木出羽守の指導のもと、鳥越城・二曲城を拠点に抵抗を続けた。両城は天正8年に一度陥落したが、翌天正9年に一揆勢が奪回した。
佐久間盛政が再び両城を攻略し、天正10年3月、一揆勢300人余りを磔刑に処して鎮圧した。この鎮圧をもって、文明年間以来続いた加賀一向一揆の抵抗は終わった。

前年に一揆勢が奪回していた鳥越城・二曲城を、佐久間盛政が再び攻略した。一揆勢300人余りが磔刑に処され、約100年続いた加賀一向一揆の抵抗が終わった。
鳥越城・二曲城を攻略する
鳥越城・二曲城に拠って抵抗する
出典13·確実度:高
加賀一向一揆の完全な終息により、加賀国は名実ともに織田方の支配下に入った。この地を実際に領有することになる前田利家は、当時まだ越前府中城主であり、加賀(金沢城)を得るのは翌々年、賤ヶ岳の戦い後の天正11年(1583年)である。
データ上の注意
磔刑に処された人数(300人余り)は白山市・石川県の資料による記載で、一次史料での裏付けは確認できていない。前田利家はこの時点では越前府中城主で、この鎮圧そのものへの従軍を示す資料は確認できていないため、参戦者には含めていない。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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