信長の後継をめぐり織田信孝を推す柴田勝家と対立した羽柴秀吉は、近江賤ヶ岳で両軍激突した。勝家方の前田利家が戦線を離脱したことで柴田軍は総崩れとなり、勝家は本拠・北ノ庄城へ退いて自害。秀吉は信長の後継者としての地位を実質的に確立した。
6月11日
羽柴秀吉軍と柴田勝家軍が近江国伊香郡の賤ヶ岳周辺で戦い、柴田軍が敗れた。
出典 Wikipedia「賤ヶ岳の戦い」/長浜市「賤ヶ岳合戦エリア」
6月14日
賤ヶ岳から退いた柴田勝家は北庄城で羽柴軍の攻撃を受け、お市の方とともに自害した。
出典 Wikipedia「賤ヶ岳の戦い」
9月
羽柴秀吉が石山本願寺跡で大坂城の築城を始め、天下統一の政治・軍事拠点とした。
出典 大阪市「大坂城跡(天守閣)・旧大阪市立博物館」
柴田勝家と結んで羽柴秀吉・織田信雄に対抗した織田信孝は、賤ヶ岳と北庄城の敗北後に孤立し、尾張国野間の大御堂寺で自害した。
出典 愛知県公文書館「愛知の歴史資料」/滋賀県「賤ヶ岳の戦いから小牧・長久手の戦いへ」