
秀吉は20万を超える大軍を九州へ送り込み、島津義久を降伏させて九州をほぼ平定した。凱旋の途上、博多で秀吉はキリスト教宣教師の国外追放を命じるバテレン追放令を発した。これはキリシタン大名による寺社破壊や人身売買への懸念が背景にあったとされる。
5月
九州へ進軍した豊臣軍を受け、島津義久が川内の泰平寺で秀吉に降伏した。
この合戦を詳しく見る →出典 鹿児島県「秀吉の九州遠征」/福岡市博物館「戦国時代の博多展4」/文化遺産オンライン「豊臣秀吉条書 筑前国箱崎宛」
九州平定後、豊臣秀吉は博多で宣教師に退去を命じる伴天連追放令を出した。また、イエズス会領だった長崎・茂木・浦上を収公して政権の直轄地としたが、直後に全国で信仰が完全に禁止されたわけではなかった。
出典 長崎市「長崎の歩き方」/長崎市「キリスト教の伝来と長崎」/金沢市「高山右近自筆書状」