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国別データ

紀伊国


年表

  1. 1555年 〜1559年

    畠山高政・根来衆・雑賀衆・湯河直光ほか

    諸勢力並立守護の畠山氏は、高野山・根来寺・雑賀衆・湯河氏が地域ごとに割拠する紀伊をまとめられなかった。郡ごとの内訳は district_ownership.csv を見る
  2. 1560年 〜1569年

    畠山高政・根来衆・雑賀衆・湯河直春ほか

    諸勢力並立守護の畠山氏は、高野山・根来寺・雑賀衆・湯河氏が地域ごとに割拠する紀伊をまとめられなかった。郡ごとの内訳は district_ownership.csv を見る。1562年の教興寺の戦いで湯河直光が戦死した
  3. 1560年

    7月紀伊・畿内情勢

    三好長慶が畿内支配の再編を進め、紀伊・和泉方面の寺社勢力と交渉を重ねる。

    紀伊・畿内情勢が行われた1560年の勢力図
  4. 1570年 〜1580年

    雑賀孫一・根来衆・湯河直春・堀内氏善ほか

    諸勢力並立畠山氏が河内を失って紀伊での力も衰え、根来・雑賀・高野山・湯河氏らの割拠が続いた。織田にも服さず、決着は1585年の紀州征伐
  5. 1581年

    雑賀孫市・根来衆・湯河直春・堀内氏善ほか

    諸勢力並立雑賀衆・根来衆は織田に服さず自立を保った
  6. 1582年

    雑賀孫市・根来衆・湯河直春・堀内氏善ほか

    諸勢力並立畠山氏が河内を失って紀伊での力も衰え、根来・雑賀・高野山・湯河氏らの割拠が続いた。織田にも服さず、決着は1585年の紀州征伐
  7. 1583年

    雑賀孫市・根来衆・湯河直春・堀内氏善ほか

    諸勢力並立畠山氏が河内を失って紀伊での力も衰え、根来・雑賀・高野山・湯河氏らの割拠が続いた。織田にも服さず、決着は1585年の紀州征伐
  8. 1584年

    雑賀孫市・根来衆・湯河直春・堀内氏善ほか

    諸勢力並立畠山氏が河内を失って紀伊での力も衰え、根来・雑賀・高野山・湯河氏らの割拠が続いた。織田にも服さず、決着は1585年の紀州征伐。翌1585年の紀州征伐で紀伊のほぼ全域が羽柴秀長の下に入る
  9. 1585年

    羽柴秀吉羽柴秀長

    羽柴氏紀州攻め後に羽柴秀長が紀伊を領有
  10. 3月紀州攻め

    羽柴秀吉・秀長軍が根来衆・雑賀衆などを攻め、紀伊国の制圧を進めた。

    紀州攻めが行われた1585年の勢力図
  11. 1586年

    豊臣秀長

    豊臣氏和歌山城築城
  12. 1587年

    豊臣秀長

    豊臣氏
  13. 1588年

    豊臣秀長

    豊臣氏
  14. 1589年

    豊臣秀長

    豊臣氏
  15. 1590年

    豊臣秀長

    豊臣氏豊臣秀長の没後、浅野幸長が入るのは1594年である
  16. 1591年 〜1597年

    浅野幸長

    豊臣氏
  17. 1591年

    北条氏直が赦免される

    高野山に追放されていた北条氏直が赦免され、見性斎と称して秀吉に仕え、大名に復帰した。北条家の戦国大名としての再興の可能性が生まれた。

    北条氏直が赦免されるが行われた1591年の勢力図
  18. 1595年

    7月豊臣秀次が高野山で切腹

    関白職を剥奪され高野山へ追放された豊臣秀次が、豊臣秀吉の命により切腹した。

    豊臣秀次が高野山で切腹が行われた1595年の勢力図
  19. 1598年 〜1599年

    浅野幸長

    豊臣氏
  20. 1600年

    桑山一晴ほか

    徳川方和歌山の桑山一晴が在国し、戦後に浅野幸長が入った/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る
  21. 1601年 〜1602年

    浅野幸長

    徳川政権
  22. 1601年

    真田昌幸・信繁父子が九度山へ配流

    上田城を明け渡した真田昌幸・信繁父子が、紀伊国高野山麓の九度山へ配流された。

    真田昌幸・信繁父子が九度山へ配流が行われた1601年の勢力図
  23. 1603年 〜1615年

    浅野幸長

    徳川政権