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国別データ

遠江国


年表

  1. 1537年 〜1559年

    今川義元

    今川氏
  2. 1560年 〜1568年

    今川氏真

    今川氏桶狭間で義元が討死し、氏真が家督を継いだ
  3. 1569年

    徳川家康今川氏真

    諸勢力並立1568年12月に家康が遠江へ入り、掛川城の今川氏真を囲んだ。1569年5月の開城で戦国大名としての今川氏は終わった。武田方の秋山虎繁も1568年末に遠江へ入ったが、家康の抗議で信玄が呼び戻し、翌年正月に撤退している
  4. 1570年 〜1572年

    徳川家康

    徳川氏
  5. 1572年

    10月武田軍の遠江侵攻

    武田信玄は遠江へ進攻し、徳川方諸城に強い圧力を加えた。徳川家中には動揺も広がり、東海の勢力図は一気に緊迫した。

    武田軍の遠江侵攻が行われた1572年の勢力図
  6. 12月二俣城の戦い

    武田軍が遠江二俣城を攻略し、徳川方の防衛線を切り崩した。家康は浜松城を拠点に持久と反撃の機会をうかがう状況に追い込まれた。

    この合戦を詳しく見る →
  7. 1573年 〜1575年

    徳川家康武田勝頼

    諸勢力並立三方ヶ原ののち、二俣・高天神など遠江東部の城を武田が取った
  8. 1573年

    1月25日三方ヶ原の戦い

    遠江三方ヶ原で武田軍と徳川・織田連合軍が激突し、家康は大敗。武田信玄の軍事的威勢が全国に示され、反信長勢力に大きな心理的影響を与えた。

    この合戦を詳しく見る →
  9. 1576年 〜1580年

    徳川家康

    徳川氏長篠ののち諏訪原・二俣を取り返した。高天神城だけは1581年3月まで武田方が保った
  10. 1579年

    松平信康が二俣城で自害

    徳川家康の嫡男で岡崎を基盤とした松平信康が二俣城で自害した。信長の直接命令や武田への内通は同時代史料で確定せず、徳川家の後継と織田同盟に関わる政治事件となった。

    松平信康が二俣城で自害が行われた1579年の勢力図
  11. 1581年

    徳川家康

    徳川氏
  12. 4月徳川家康の甲斐・信濃圧迫

    家康が武田領国境で軍事行動を活発化させ、信濃・甲斐の国衆を切り崩し武田勝頼を包囲。

    徳川家康の甲斐・信濃圧迫が行われた1581年の勢力図
  13. 1582年

    徳川家康

    徳川氏
  14. 1583年

    徳川家康

    徳川氏
  15. 1584年

    徳川家康

    徳川氏
  16. 1585年

    徳川家康

    徳川氏
  17. 1586年

    徳川家康

    徳川氏
  18. 5月朝日姫が徳川家康へ嫁ぐ

    豊臣秀吉は妹の朝日姫を徳川家康へ嫁がせ、豊臣・徳川間に姻戚関係を作った。さらに母の大政所を岡崎へ送り、家康が秀吉へ臣従する交渉を親族関係と政治的保証で支えた。

    朝日姫が徳川家康へ嫁ぐが行われた1586年の勢力図
  19. 1587年

    徳川家康

    豊臣氏
  20. 1588年

    徳川家康

    豊臣氏
  21. 1589年

    徳川家康

    豊臣氏
  22. 1590年

    徳川家康

    豊臣氏徳川家康の関東移封の後に堀尾吉晴が入った/家康の関東移封後に堀尾吉晴へ移行
  23. 1591年 〜1597年

    堀尾吉晴

    豊臣氏
  24. 1598年

    堀尾吉晴

    豊臣氏
  25. 1599年

    堀尾忠氏

    豊臣氏
  26. 1600年

    堀尾忠氏ほか

    徳川方浜松の堀尾忠氏が在国し、戦後に出雲へ移った/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る
  27. 1601年 〜1602年

    徳川家康

    徳川政権
  28. 1603年 〜1616年

    徳川家康

    徳川政権

この国の郡(12)

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周智郡
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榛原郡
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磐田郡
豊田郡
長上郡
麁玉郡

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