
秀吉と対立を深めた織田信雄は徳川家康と結んで挙兵し、両陣営は尾張で対峙した。長久手での局地戦では家康方が森長可・池田恒興ら秀吉方の有力武将を討ち取って優勢に立ったが、11月に信雄が単独で秀吉と和睦したため、家康も兵を引いて戦いは決着のつかぬまま収束した。
3月
羽柴秀吉軍と徳川家康・織田信雄連合軍が尾張国を中心に対峙し、約8か月に及ぶ戦いが始まった。
この合戦を詳しく見る →出典 Wikipedia「小牧・長久手の戦い」/Wikipedia「岩崎城の戦い」
織田信雄は、羽柴秀吉に通じていたとして自身の家老3名を殺害した。これが秀吉への宣戦布告となり、信雄は徳川家康と結んだ。
この合戦を詳しく見る →出典 国立公文書館「小牧・長久手の戦い(徳川家康——将軍家蔵書からみるその生涯)」
徳川家康は小牧山に陣を張り、羽柴秀吉は楽田に陣を構えて対峙した。国立公文書館は、信雄・家康連合軍を約1万7千、秀吉軍を10万(一説には6万)と記す。
この合戦を詳しく見る →出典 国立公文書館「小牧・長久手の戦い(徳川家康——将軍家蔵書からみるその生涯)」/名古屋市博物館「小牧長久手の戦い」
6月
滝川一益が九鬼水軍とともに海上から蟹江城へ入り、留守を預かる前田種利を懐柔して城を占拠した。織田信雄・徳川家康の連合軍が反撃し、2週間に及ぶ籠城戦の末に城を奪還した。
この合戦を詳しく見る →出典 蟹江町「蟹江城址」/蟹江町「蟹江合戦とは?(蟹江町歴史民俗資料館 おうちミュージアム)」
9月
越中の佐々成政が能登の末森城を攻め、前田利家がこれを退けた。城主は前田方の奥村永福で、石川県はこの勝利が加賀百万石につながったとされると説明する。
出典 石川県「赤蔵山・末森城跡」/金沢大学「石川デジタルミュージアムネットワーク:末森城跡」
11月
豊臣秀吉が土地の測量と等級・年貢を把握する太閤検地を開始した。石田三成ら検地奉行が全国で実施を進めた。