
西国・畿内・中部はすでに豊臣政権の傘下に収まり、全国の大大名も従属状態にあった。小田原征伐で関東の北条氏を滅ぼし、奥州仕置で東北諸将を服属させ、残る独立勢力は消滅。全国統一への最後の障壁が取り払われた。
3月29日
豊臣軍が小田原への進路を守る後北条氏の山中城を攻撃し、半日で落城させた。
この合戦を詳しく見る →出典 三島市「山中城跡(国指定文化財「史跡」)」/三島市「戦国・安土桃山時代」/静岡県「しずおか文化財ナビ 山中城跡」
6月14日
豊臣方の前田利家・上杉景勝に約一か月包囲されていた鉢形城が降伏。北条氏邦の北関東支配の要が失われた。
出典 寄居町「鉢形城跡」
11月
奥羽仕置で改易された葛西・大崎氏の旧家臣らが、新領主木村氏に対して蜂起した一揆。最終的に佐沼城で鎮圧された。
この合戦を詳しく見る →出典 仙台市博物館「伊達政宗に関する資料(2)」/登米市「首壇」/文化遺産オンライン「伊達政宗書状」
豊臣秀吉が会津へ入り、奥羽諸大名の所領を裁定した。伊達政宗は会津を失い、蒲生氏郷が会津を与えられた。
北条氏は小田原城下を包む約9キロメートルの総構を築いた。家臣・町人・商人・寺社が暮らす都市全体を防衛圏に入れ、軍事と商業を統合させた城下町。
出典 小田原市文化財保存活用地域計画