1575年:長篠の戦いと武田氏の凋落

1575年:長篠の戦いと武田氏の凋落

三河長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康の連合軍3万8千が武田勝頼の軍1万5千と設楽原で激突。信長は馬防柵と鉄砲隊を駆使して武田の騎馬突撃を撃退し、山県昌景・馬場信春ら宿老を含む多数の将士を討ち取る大勝を収めた。この敗戦で武田氏は主力を大きく損耗し、以後は勢力を維持しつつも往時の攻勢力を取り戻せなかった。

年内の主な出来事

6月29日

長篠・設楽原の戦い

長篠城救援に赴いた織田信長・徳川家康連合軍が設楽原で武田勝頼軍を破り、武田方は多くの有力武将を失った。

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出典 Wikipedia「長篠の戦い」/Wikipedia「設楽原の戦い」

8月15日

越前一向一揆の鎮圧

信長は木ノ芽峠口・杉津口の二手から一向一揆を総攻撃し、短期間で越前を平定した。府中町だけで1500人が討たれるなど掃討は徹底し、朝倉氏滅亡後に越前を治めていた一向一揆の支配は終わった。

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出典 福井県立図書館・文書館『福井県史』通史編3 近世一「信長の越前侵攻と一揆の壊滅」

9月

柴田勝家が越前北庄を与えられる

越前一向一揆の平定後、織田信長は柴田勝家に越前八郡の支配と北国征討を任せた。勝家は北庄城と城下町の建設を進めた。

9月2日

府中三人衆の成立

信長は越前一揆平定後、前田利家・佐々成政・不破光治の3人に府中辺2郡を与え、柴田勝家の与力・目付として越前統治に当たらせた。

月日不詳
明智光秀が丹波攻略を開始

織田信長の命を受けた明智光秀が丹波攻略に着手した。光秀は黒井城を包囲したが、波多野秀治の離反による挟撃を受けて撤退した。