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国別データ

日向国


年表

  1. 1533年 〜1559年

    伊東義祐島津貴久・島津氏諸家・土持氏ほか

    諸勢力並立伊東氏・島津氏諸家・土持氏が抗争・並立
  2. 1560年

    伊東義祐島津忠親・土持氏・北原氏ほか

    諸勢力並立伊東義祐が中部を治め、飫肥の島津豊州家、縣の土持氏、真幸院の北原氏が並立していた
  3. 1561年

    伊東義祐島津忠親・土持氏・北原氏ほか

    諸勢力並立伊東義祐が中部を治め、飫肥の島津豊州家、縣の土持氏が並立していた。真幸院の北原氏は1562年に断絶し、所領は伊東・島津に分かれた
  4. 1562年 〜1569年

    伊東義祐島津忠親・土持氏・北郷時久ほか

    諸勢力並立北原兼守の死で北原氏が絶え、真幸院は伊東義祐が接収した。飫肥の島津豊州家、縣の土持氏、都城の北郷氏と並立する
  5. 1570年 〜1577年

    伊東義祐・北郷時久・島津義弘・土持氏ほか

    諸勢力並立佐土原の伊東義祐が四十八城を並べて最盛期にあったが、諸県郡の南半は都城の北郷氏と真幸院の島津義弘が保った。木崎原の戦い(1572年)ののち退潮に向かい、高原城の落城(1576年)から離反が続いて、1577年末に義祐は豊後へ逃れた(伊東崩れ)
  6. 1571年

    島津・大友対立の継続

    九州では島津義久と大友義鎮(宗麟)の緊張関係が続き、日向・肥後方面の国衆を巻き込んだ勢力争いが続いた。

    島津・大友対立の継続が行われた1571年の勢力図
  7. 1573年

    島津氏と大友氏の緊張継続

    九州では島津義久が南九州で地歩を固め、大友宗麟との対立構造が続く。全面衝突前夜の均衡状態が保たれた。

    島津氏と大友氏の緊張継続が行われた1573年の勢力図
  8. 1578年 〜1580年

    島津義久

    島津氏伊東崩れに続き、耳川の戦い(1578年11月)で大友の反攻を退けて日向は島津領となった
  9. 1581年

    島津義久

    島津氏
  10. 1582年

    島津義久

    島津氏
  11. 1583年

    島津義久

    島津氏
  12. 1584年

    島津義久

    島津氏
  13. 1585年

    島津義久

    島津氏
  14. 1586年

    島津義久

    島津氏
  15. 1587年

    島津義久

    豊臣氏
  16. 1588年

    島津義久

    豊臣氏
  17. 1589年

    島津義久

    豊臣氏
  18. 1590年

    島津義弘

    豊臣氏
  19. 1591年 〜1597年

    高橋元種

    豊臣氏
  20. 1598年 〜1599年

    高橋元種

    豊臣氏
  21. 1600年

    伊東祐兵島津義久高橋元種・秋月種長ほか

    諸勢力並立伊東祐兵が東軍・島津氏が西軍で国内が割れた/高橋氏と秋月氏は後に東軍へ内応した/1600年は家の色を使わず石田方と徳川方の2色で塗る
  22. 1601年 〜1602年

    日向諸領主ほか

    徳川政権関ヶ原合戦後に徳川政権下で領主を再編
  23. 1603年 〜1615年

    有馬直純

    徳川政権