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1600年10月13日〜21日 · 近江国大津城
東軍へ転じた京極高次が大津城に籠もり、西軍の大軍を足止めした。開城したのは関ヶ原当日である。
大津城は、明智光秀ゆかりの坂本城の廃城にともない、豊臣秀吉の命で天正14年(1586年)ごろ現在の浜大津周辺に築かれた。4代目の城主である京極高次は北陸方面の西軍に加わっていたが東軍へ転じ、城に籠もった。大津は東海道と北国街道が集まる地で、京・大坂と関ヶ原を結ぶ線上にある。
高次は毛利元康・立花宗茂らの西軍約15,000を大津に引きつけ、9月15日(西暦10月21日)に開城した。関ヶ原当日の開城となったため、この大軍は主戦場へ間に合わなかった。戦後、大津城は徳川家康の命で廃され、城は膳所へ移された。

西軍が大津城を囲む
東軍へ転じた京極高次の大津城を、毛利元康・立花宗茂らの西軍が包囲した。
出典123·確実度:高
関ヶ原当日に開城する
高次は約15,000といわれる西軍を大津に引きつけたまま持ちこたえ、関ヶ原当日に開城した。西軍の有力部隊は主戦場へ間に合わなかった。
出典123·確実度:高
京極高次の足止めは、関ヶ原の結果に大きな影響を与えたといわれる。田辺城の戦いとともに、西軍の兵力を主戦場から引き離した籠城戦にあたる。
データ上の注意
出典の日付は旧暦の慶長5年9月7日〜15日。西暦は和暦と西暦を併記した記述(1600年10月13日〜10月21日)から採った。
参照した資料
本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

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