INTERACTIVE BATTLE

岐阜城の戦い

1600年9月29日〜30日 · 美濃国岐阜城

西軍に付いた織田秀信の岐阜城を、東軍の先鋒が攻め落とした。

背景

織田信長の孫にあたる織田秀信は岐阜城主で、関ヶ原合戦の前哨戦にあたって西軍に味方した。石田三成が本営とした大垣城の東を押さえる位置にあり、東軍の先鋒は西上の途上でこの城を攻めた。

結末

激戦の末に岐阜城は落城し、秀信は降伏した。天守閣・櫓などは、のちに加納城へ移されたと伝えられる。

岐阜城の戦い — 美濃国岐阜城

戦況年表

1 1600年9月29日

東軍が岐阜城へ攻め寄せる

信長の孫・織田秀信が西軍に味方したため、西上してきた東軍の先鋒が岐阜城へ攻め入った。

出典123·確実度:高

2 1600年9月30日

激戦の末に落城する

激戦の末に岐阜城は落ち、秀信は降伏した。天守閣・櫓等はのちに加納城へ移されたと伝えられる。

出典123·確実度:高

歴史的な位置づけ

美濃の東の抑えを失ったことで、西軍は大垣城を軸とする防戦へ追い込まれた。この戦いののち、東軍主力は赤坂・関ヶ原方面へ進んだ。

主な関係人物

徳川方

3名

福島正則

東軍先鋒

東軍の先鋒として岐阜城攻めに加わった。

出典12·確実度:高


池田輝政

東軍先鋒

岐阜城攻略で二の丸へ一番乗りを果たしたと伝わる。

出典12·確実度:中


浅野幸長

東軍先鋒

父の浅野長政とともに東軍に加わり、先鋒として岐阜城を攻略した。

出典12·確実度:中

石田方

1名

織田秀信

岐阜城主

織田信長の孫。西軍に味方して岐阜城に拠ったが、激戦の末に降伏した。

出典12·確実度:高

データ上の注意

出典の日付は旧暦の慶長5年8月22〜23日にあたる。西暦は英語版Wikipediaのインフォボックスが示す1600年9月29〜30日を採った。

参照した資料

  1. 岐阜観光コンベンション協会「岐阜城」
  2. 岐阜市「岐阜城跡」
  3. 城郭マスタ(shiro.geojson)

本文中の番号は、上の一覧の資料に対応する。確実度は、その記述が出典でどこまで裏づけられているかを示すもので、座標の精度や年代の確度ではない。

1600年の勢力図を見る
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