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国別データ

越前国


年表

  1. 1549年 〜1573年

    朝倉義景

    朝倉氏
  2. 1570年

    4月金ヶ崎の退き口

    越前方面への進軍中、同盟を結んでいた浅井長政が突如離反。織田信長は朝倉義景軍と挟撃される危機に陥るが、殿軍の奮戦で主力を温存し撤退に成功。

    金ヶ崎の退き口が行われた1570年の勢力図
  3. 1573年

    8月朝倉義景の滅亡

    織田軍の越前侵攻により朝倉義景は一乗谷を放棄して敗走。家臣の離反も重なり自害し、戦国大名朝倉氏は滅亡した。

    朝倉義景の滅亡が行われた1573年の勢力図
  4. 8月9日刀根坂の戦い

    織田軍が越前へ退く朝倉軍を追撃し大勝。朝倉氏の軍事的基盤を決定的に崩した。

    刀根坂の戦いが行われた1573年の勢力図
  5. 1574年

    下間頼照

    本願寺・一向一揆一乗谷の落城後、越前は一向一揆が支配した
  6. 1575年 〜1580年

    柴田勝家

    織田氏越前一向一揆を平定し、柴田勝家に与えた
  7. 1575年

    8月15日越前一向一揆の鎮圧

    信長は木ノ芽峠口・杉津口の二手から一向一揆を総攻撃し、短期間で越前を平定した。府中町だけで1500人が討たれるなど掃討は徹底し、朝倉氏滅亡後に越前を治めていた一向一揆の支配は終わった。

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  8. 9月柴田勝家が越前北庄を与えられる

    越前一向一揆の平定後、織田信長は柴田勝家に越前八郡の支配と北国征討を任せた。勝家は北庄城と城下町の建設を進めた。

    柴田勝家が越前北庄を与えられるが行われた1575年の勢力図
  9. 9月2日府中三人衆の成立

    信長は越前一揆平定後、前田利家・佐々成政・不破光治の3人に府中辺2郡を与え、柴田勝家の与力・目付として越前統治に当たらせた。

    府中三人衆の成立が行われた1575年の勢力図
  10. 1576年

    9月11日柴田勝家が北庄に楽市令を発する

    柴田勝家は北庄に楽市令を出し、城下町の商業振興と越前支配の安定化を進めた。

    柴田勝家が北庄に楽市令を発するが行われた1576年の勢力図
  11. 1581年

    柴田勝家

    織田氏
  12. 1582年

    柴田勝家

    柴田氏
  13. 1583年

    柴田勝家

    柴田氏賤ヶ岳の敗戦で北ノ庄が落ち、戦後に丹羽長秀が入った/北庄落城後に丹羽長秀へ移行
  14. 6月14日北庄城落城

    賤ヶ岳から退いた柴田勝家は北庄城で羽柴軍の攻撃を受け、お市の方とともに自害した。

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  15. 1584年

    丹羽長秀

    羽柴氏
  16. 1585年

    丹羽長秀丹羽長重・堀秀政ほか

    羽柴氏丹羽氏から堀秀政らの分領へ移行
  17. 1586年

    堀秀政・長谷川秀一ほか

    豊臣氏豊臣政権下で堀秀政らが分領
  18. 1587年

    堀秀政・長谷川秀一ほか

    豊臣氏豊臣政権下で堀秀政らが分領
  19. 1588年

    堀秀政・長谷川秀一ほか

    豊臣氏豊臣政権下で堀秀政らが分領
  20. 1589年

    堀秀政

    豊臣氏
  21. 1590年

    堀秀政

    豊臣氏
  22. 1591年 〜1597年

    堀秀政

    豊臣氏
  23. 1598年 〜1599年

    堀秀政

    豊臣氏
  24. 1600年

    青木一矩・大谷吉継ほか

    石田方北ノ庄の青木一矩と敦賀の大谷吉継が西軍に属し、戦後に結城秀康が入った/関ヶ原で国を抑えた大名の属した陣営で塗る/関ヶ原合戦後に結城秀康へ移行
  25. 1601年 〜1602年

    結城秀康

    徳川政権
  26. 1603年 〜1607年

    結城秀康

    徳川政権
  27. 1608年 〜1615年

    松平忠直

    徳川政権