
石田三成ら西軍と徳川家康の東軍が全国規模で対峙し、10月の関ヶ原で東軍が決定的勝利。前哨戦として伏見・岐阜・大津・上田・奥羽方面など各地で戦闘が展開された。戦後は大規模な改易・転封・加増が進み、徳川の覇権体制が固まる。
8月
細川忠興が会津征伐に出た留守を突いて、石田三成の指示で丹後が攻撃された。忠興の父・幽斎は約500で田辺城に籠もり、約15,000といわれる西軍を抱え込んだ。
この合戦を詳しく見る →出典 舞鶴市「舞鶴ふるさと発見館(郷土資料館)だより 令和4年9月号」
8月26日
徳川家康の会津出陣後、西軍が鳥居元忠らの守る伏見城を包囲し、関ヶ原戦役の最初の本格的攻城戦が始まった。
この合戦を詳しく見る →出典 京都市「都市史20 伏見城」/京都市「伏見区の歴史:安土桃山時代 秀吉が開いた城下町」/京都市文化財保護課「伏見城跡・指月城跡 現地説明会資料」
9月2日
会津の上杉景勝征伐に向かっていた徳川家康は、小山に在陣中に伏見城からの使者を迎え、石田三成の挙兵を知って諸将を集めた。この軍議で会津攻めは中止となり、諸将は西上して関ヶ原へ向かうことになったと伝わる。
出典 小山市「徳川家康ゆかりの地 小山評定と小山御殿」
直江兼続率いる上杉軍が最上領へ侵攻し、長谷堂城を攻めたが攻略できず、関ヶ原敗報を受けて撤退した戦役。
この合戦を詳しく見る →出典 山形市「長谷堂城跡」/山形城公式「歴代城主」/山形市地域教材「長谷堂合戦」
10月13日
東軍へ転じた京極高次が大津城に籠城し、毛利元康・立花宗茂らの西軍約15,000がこれを包囲した。
この合戦を詳しく見る →出典 大津市観光協会「びわ湖大津トラベルガイド 大津城ゆかりの地を歩く」/大津市観光協会「戦国の大津歴史舞台 大津と大津城」/大津市「大津城跡発掘調査報告書」
10月19日
旧領回復を目指す大友義統と、黒田孝高・松井康之の軍勢が別府の石垣原で戦った。昼から夕方にかけての激戦の末、黒田・松井方が勝ち、義統は降伏した。
この合戦を詳しく見る →出典 別府市「大河ドラマ『軍師官兵衛』ゆかりの石垣原合戦」
10月20日
関ヶ原の前日、大垣城を出た島左近・蒲生備中ら約500が杭瀬川を渡って東軍の中村一栄隊を挑発し、伏兵で破った。西軍が唯一勝利した前哨戦である。
この合戦を詳しく見る →出典 岐阜県観光公式サイト「杭瀬川古戦場」/大垣・西美濃観光ポータル「関ケ原合戦 決戦前夜 大垣城」
10月21日
美濃関ヶ原で東西両軍が激突。徳川家康率いる東軍が大勝。
この合戦を詳しく見る →出典 岐阜県「岐阜関ケ原古戦場記念館」/関ケ原観光ガイド「決戦地」/関ケ原観光ガイド「開戦地」
京極高次が大津城を開いた。関ヶ原の戦いと同じ日にあたり、城を囲んでいた西軍の大軍は主戦場へ間に合わなかった。
この合戦を詳しく見る →出典 大津市観光協会「びわ湖大津トラベルガイド 大津城ゆかりの地を歩く」/大津市観光協会「戦国の大津歴史舞台 大津と大津城」/大津市「大津城跡発掘調査報告書」
10月27日
関ヶ原から伊吹山方面へ逃れていた石田三成が、徳川家康の命を受けた田中吉政の追捕隊に近江の古橋村で捕らえられた。
出典 岐阜関ケ原古戦場記念館「石田三成コース」
11月6日
石田三成は、小西行長・安国寺恵瓊とともに京都の六条河原で斬首された。西軍の中心にいた三人の処刑によって、関ヶ原の戦後処理が一区切りとなった。
出典 岐阜関ケ原古戦場記念館「石田三成コース」/岐阜関ケ原古戦場記念館「黒田長政コース」